カラウパパ
KALAUPAPA

モロカイ島カラウパパ半島

東西に長いモロカイ島の北海岸、ほぼ中央辺りにカラウパパ半島がある。半島といってもわずかな出っ張りで、そう広くはない。19世紀の中頃から、この半島はハンセン病患者の隔離場所となった。半島を囲む三方は海、モロカイ島と繋がっている部分は数百メートルの高さの断崖で、いわゆる陸の孤島であったからだ。モロカイ島自体が孤島のような島で、その中の隔絶されたエリアであるから、患者の隔離に最適の場所とされたのである。

現在では小さな滑走路があり軽飛行機の離着陸ができるものの、当時は船でアクセスするしかなかった。ホノルルなど他の島でハンセン病患者の症状が悪化すると、船に乗せられ、この半島に捨てるように置いていかれた。そして、この場所に連れてこられるということは、2度と戻れないということを意味していた。ハンセン病患者の隔離に関しては日本でも悲しい事例が残っているが、それはこの地でも同じであった。

当時、ハンセン病患者のために奔走したひとりの外国人がいた。ベルギーからやってきたダミアン神父だ。カラウパパを訪れたダミアン神父は、患者のために教会や学校を建て、その生涯を捧げた。そして、彼らに尽くすうちに自らもハンセン病に罹患し、命を落とすこととなった。後世になって彼の功績が称えられ、ハワイ諸島の各地にダミアン神父の銅像が建てられた。その姿は、州庁舎前の銅像やワイキキにあるダミアン博物館などでも見ることができる。

現在でもカラウパパのコミュニティでは元患者たちが暮らしているが、半島から自由に出ることができるようになっている。半島を望む崖の上からは、ミュール(ラバ)の背中に揺られて崖を下り、カラウパパを訪れるツアーがある。ダミアン神父の偉業の跡をたどることも、モロカイ島を知るひとつの方法だ。

(Kalaupapa Lookout, Molokai)